品番 02-1175
大業物、岐阜県重要無銘文化財保持者
現代刀 濃州住兼秀作 二尺四寸四分 白鞘入
- 商品価格(税込)
- 400,000円
種別Category | 刀 | 刃長Blade length | 74.0cm |
反りCurvature | 1.8cm | 目釘穴a rivet of a sword hilt | 1個 |
元幅Width at the bottom part of blade | 34.0mm | 先幅Width at the top | 24.0mm |
元重Thickness at the bottom part of blade | 7.5mm | 先重Thickness at the top | 5.5mm |
重量Weight | 刀身870g | 時代Period | 昭和 |
銘文Signature and Date | (表)濃州住兼秀作 (裏)昭和四十七年二月日 |
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登録Registration Code | 平成28年5月10日 大阪府教育委員会 |
品番 02-1175
<体配>
鎬造り庵棟、身幅やや太く重尋常、鳥居反りで中峰。茎は生で鑢目は筋違い、茎尻は栗尻。
<地鉄>
潤いのある板目肌に杢目が交じり、刃寄り流れて柾心を見せる、地沸よく付き地景入る。
<刃紋>
沸出来の丁子刃で焼きに高低差を付け足良くはいり、物打辺は良く沸て砂流しかかり銀筋流れ、刃中は葉がはいる。帽子は乱れ込み小丸に返る。
<特徴>
濃州住兼秀、本名は中田勇、大正2年8月24日、長野県木曽郡大桑村に生まれ。昭和3年大桑村の尋常小学校卒業後に高知県安芸市の十二代川島正秀鍛錬所へ弟子入りし、8年間の修行終了後(この時の銘は正直)の大正12年2月
、岐阜県関市の渡辺兼永刀匠の日本刀鍛錬塾に入塾、大正12年10月から15年10月まで鍛錬塾の塾頭となる。昭和13年10月にヒットラーユーゲント12人が関市を訪問した際には、若き兼秀刀匠達
が31口の短刀を作成し桐箱に入れてヒットラーユーゲント団員全員に贈呈された(余談ながら、この短刀は平成18年にドイツから関市に変換されている)。その後はヒットラー、ムッソリーニ両首相に日本刀を献上する。
昭和16年には関刀剣株式会社へ陸軍受命刀匠として入社、優秀な鍛錬技術を認められて東條英機総理大臣に軍刀を献上するなど華やかな経歴を持つ、昭和前期を代表する刀匠である。
戦後は関鍛冶の復興に尽力し、昭和30年日本美術刀剣保存協会主催の作刀技術発表会での初入選後は努力賞2回、入選13回を連続受賞する。更に昭和32年には天皇、皇后両陛下への献上刀を鍛錬、昭和38年に『兼秀日本刀鍛錬所』を
設立して日本刀の鍛錬と研究に専念した。その後の昭和51年12月22日『関市重要無形文化財』認定、翌52年3月11日には『岐阜県重要無銘文化財』に指定される。また昨年他界された正直刀匠は弟子で有り娘婿にあたる。
本作、兼秀刀匠59歳円熟期の作で、戦前から脈々と続く実戦刀の血が流れている刀です。刀身の出来は抜群でバランスも良く鑑賞に最適ですが、やはり拵を付けて試斬に使いたい一振りです。
<拵え>
ハバキ:銀無垢一重の腰祐乗。
白鞘が付属(乾燥により白鞘の反りが変化しているので修正します)。
<刀剣の状態>
研ぎ: 概ね良好です。
傷: 欠点に成るような傷は有りません。