説明
「体配 style」
鎬造り庵棟、身幅重尋常、鳥居反り中鋒、茎は生で化粧鑢がかかり、茎尻は栗尻。
「地鉄 jigane」
地鉄は板目肌で、刃緑付近から流れ柾と成り、白気映りが入る。
「刃紋 hamon」
刃紋は変わった焼き方をしている。焼き出しから刀身の3分1までは、焼き頭が鎬まで届く程の互の目を焼き、砂流しかかり刃中は金筋が栄んに入り簾刃のようになる。そこから先は焼き幅の狭い小沸出来の小互の目で、砂流し栄んにかかり、刃中は金筋が入る。釯子は刃紋成りに入り小丸に返る。
「特徴 detailed」
清心子正行、本名神田喜三郎、水戸の出身で、師匠は水心子正秀の弟子の奥州二本松臣田子駿河守正弘の弟子として、殆ど武蔵国江戸にて作刀をしています。しかし本作品は奥州二本松にて作刀された刀で、しかも慶応年間に作られたと鑑定されています。
幕末の奥州二本松藩は奥羽列藩同盟に参加し、慶応4年4月白河の戦いから始まる奥州戦争にて奮戦しますが、同年7月二本松城攻防戦では、兵力の差は如何ともしがたく、7月29日に二本松城は落城します、二本松藩の戦死者は218名、この時二本松少年隊18名が討ち死にした悲劇は今も語り継がれています。この戦いの前に正行は師匠の正弘と共に二本松に移住し、戦い用の刀を作っていたと考えられます。
その中の一振りがこの刀です、刃紋は焼き出しから3分1を、鎬にかかる程の高低差の有る互の目で焼き、そこから先は直刃で焼いています、これは物打部分を含む戦いで使う部分は折れにくくしたのでしょう。体配は元幅がやや太く豪壮な感じですが、茎が長くバランス良く手持ちが軽いです、長さは二尺二寸六分半と注文者の身長に合わせたのでしょう。
本作は、正しく実戦用として作られた刀です、清心子正行の二本松打は殆ど残って無く貴重な一振りです。
由縁の有る方に是非購入していただきたいです。
「拵 Koshirae」
ハバキ(habaki) :素銅地金着一重の腰祐乗。
鞘(saya) :白鞘。
「刀剣の状態 condition of blade」
研:概ね良好です。
傷:欠点に成るような傷は有りません。