保存刀剣
綱俊(長運斎)六寸 短刀拵入

 
新々刀上作、初代長運斎綱俊の鎧通し。
金着波濤図の一作金具で作られた、素晴らしい短刀拵付き。
Hozon Token Tsunatoshi(Chounsai) with Koshirae and Shirosaya.
Tsunatoshi is Shinshinto Josaku, and this Tanto is Yoroi-toshi.
The koshirae is Tanto Koshirae that used fittings wrapped in gold.
Also, all fitting are made the same but other than Kotsuka.

 

 

【登録 Reggistration Code】
昭和47年3月2日 東京都第168111号
【種別 Category】
短刀 Tantou
【長さ Blade length】
18.5cm
【反り Curvature】
内反り
【目釘穴 a rivet of a sword hilt】
1個 One
【銘文 Signature and Date】
(表)綱俊
【元幅 Width at the bottom part of blade】
21.8mm
【先幅 Width at the top] 
15.3mm
【元重 Thickness at the bottom part of blade】
8.1mm
【先重 Thickness at the top】
5.3mm
【重量 Weight】
刀身133g / Blade Just 133g.
【時代 Period】
江戸時代後期
The latter of Edo period.

商品コード: 04-1151 カテゴリー:

説明

「体配 style」
鎬造り庵棟、身幅細く重厚く、内反りふくら枯れる。茎は生で化粧鑢がかかる、茎尻は栗尻。

「地鉄 jigane」
地鉄は板目に杢目が交じり、地沸が付く。

「刃紋 hamon」
小沸出来の中直刃、刃緑沸が働き、砂流し栄んにかかる、刃中は金筋が栄んに働く。釯子は直ぐに入り小丸に返る。

「特徴 detailed」
綱俊は和泉守國秀の三男で、山形藩工で濤瀾刃の名手であった加藤綱英の弟。寛政十年(1798)生まれ。本国出羽、米沢藩上杉家の抱工という。性は加藤、通称八郎、諱は是俊。水心子正秀に学び、長運斎と号す。江戸に移住しさらに大阪に上がり、鈴木治國に師事したのち、西国を遊歴、熊本に駐槌。安政三年(1856)には長運斎を息子の是俊、二代綱俊に譲り、銘を長寿斎と改める。文政六年(1823)頃より江戸麻布の上杉家中家敷に住み、文久三年(1863)十二月六十六歳で没した。甥に七代石堂是一、弟子に固山宗次、高橋長信、青竜軒盛俊など優れた門人がおり、幕末の江戸で一大流派を築いた。
本作、初代綱俊の短刀で、身幅の割に重が厚く鎧通しの造り込みです。
付属する短刀拵は、素銅地金着波濤図の一作金具で、直政の銘が入っている、素晴らしい拵です。

「拵 Koshirae」
ハバキ(habaki):素銅地銀着一重の縦鑢。
鍔  (tsuba):素銅地金着波濤の図(銘は直政 花押)。
縁頭 (fuchikashira):素銅地金着波濤の図(銘は直政)。
栗形 (kurikata):素銅地金着波濤の図。
鐺  (kojiri):素銅地金着波濤の図。
目貫 (menuki):素銅地金鍍金梅の図。
柄  (tsuuka):正絹焦茶色黒柄入糸の片手巻き。
鞘  (saya):黒呂。
小柄 (kozuka):小柄袋は素銅地金着無地、裏は五月雨鑢がかかる。小柄の穂は無銘。

「刀剣の状態 condition of blade」
研:良好です。
傷:欠点に成るような傷は有りません。