保存刀剣
兼道(関) 一尺七分 打刀拵入、白鞘付


Hozon Token Kanemichi(Seki) with Koshirae and Shirosaya.
 
三品派の祖、兼道が天正ころに作った寸延び短刀。
状態の良い、小刀拵に入っています。
Kanemichi was the founder of the Mishina school and the father of Iga no kami Kinmichi, Echigo no Kami Rai Kinmichi, Tanba no kami Yoshimichi, and Etchu no kami Masatoshi.
This Tanto was made around 1590.

【登録 Reggistration Code】
昭和58年1月28日 埼玉県第55390号
【種別 Category】
脇差 Wakizashi
【長さ Blade length】
32.5cm
【反り Curvature】
0.3cm
【目釘穴 a rivet of a sword hilt】
1個 One
【銘文 Signature and Date】
(表)兼道
【元幅 Width at the bottom part of blade】
26.6mm
【先幅 Width at the top] 
17.5mm
【元重 Thickness at the bottom part of blade】
4.6mm
【先重 Thickness at the top】
2.0mm
【重量 Weight】
刀身160g 抜身372g / Blade just 160g With out saya372g.
【時代 Period】
 室町時代後期 / late of Muromati period

商品コード: 03-1209 カテゴリー: ,

説明

「体配 style」
平造り庵棟、身幅尋常重薄く、反り僅かふくら枯れる。茎は生で桧垣鑢がかかり、茎尻は栗尻。

「地鉄 jigane」
地鉄は板目肌が流れ心と成り、映りが立つ。

「刃紋 hamon」
刃紋は互の目、足入り、刃緑微塵に沸が付き砂流しかかり、刃中は葉が入る。釯子は乱れ込み小丸に返る。
拵は小刀(ちいさがたなこしらえ)で、コンディション良く、小柄も付いています。コレクションや前差に最適です。

「特徴 detailed」
兼道、関七流室屋派の兼阿の子と伝わっています。兼道は天文から、文禄にかけて鍛刀しており、天文24年から、天正4年に至るまでの年号を切った作刀が有ります。初期の天文ごろには濃州具状郡の八幡城下で鍛刀しており、のちに武田信玄お抱え鍛冶と成り、文禄2年2月、子供4人(のちにそれぞれ、伊賀守金道、越後守来金道、丹波守吉道、越中守正俊と改める)をつれて、二条関白の御供で上京して、西洞院に居を定めて鍛刀する、彼は三品派の祖で有ります。
本作、天正くらいに作られた寸延び短刀で、地鉄は肌立っていますが、鍛え割れ等の傷は無く状態は良いです。

「拵 Koshirae」
ハバキ(habaki) :銀無垢一重の腰祐乗。
鍔(tsuba)    :鉄地木瓜形珊瑚の図。
縁頭(fhchikashira):縁は素銅地雲の図金象嵌、頭は赤銅魚子地駒の図。
目貫(menuki) :赤銅地三猿の図。
小柄(kozuka) :新物。
柄(tsuka) :鮫は巻鮫、柄巻きは正絹黒色の諸捻り巻き。
鞘(saya) :黒呂、返り角が付く。

「刀剣の状態 condition of blade」
研:良好です。
傷:欠点に成るような傷は有りません。