説明
「体配」
体配は鎬造り庵棟、身幅やや太く重尋常、鳥居反り、中鋒。茎は生で筋違い鑢がかかり、茎尻は栗尻。
「地鉄」
地鉄は、板目肌に杢目が混り良く練れて地沸付く。
「刃紋」
波紋は、互の目乱れ刃で、珠焼きを見せ、刃緑細かな沸が付き、湯走り砂流しがかかり、刃中は珠の様な葉、金筋が入る。帽子は深く入り小丸に返る。
「特徴」
大和守安次、本名、富田宗大夫、本国紀州、師は父である大和守安定。元和6年(1620)祖父安廣(富田三郎兵衛)は一族が徳川頼宜公の招へいを受け、近江から紀州に移住するにあたり当時住んでいた越前より同じく紀州に移住する、その時、父である長男の初代安定(当時3才)も紀州へ行きます。
その後、初代安定は紀州で成人したことから、安次は紀州和歌山で誕生したものと思われます。正保元年(1644)安廣は紀州藩工を解雇され、正保3年(1646)に息子の安定を伴い、旧知の越前鍛冶を頼り江戸へ移住します、勿論孫の安次も一緒です。この当時祖父の安廣は49才、父の安定は29才、この事から安次は5才くらいだったのでしょうか。
江戸に下ってから、安廣一家は旧知の越前鍛冶と行動を共にしたと考えられ、安次の父、安定は二代康継に入門します、その後めきめきと頭角を現し、大業物を作る刀工として有名になります。
一方安次は父の薫陶を受け、父安定に見劣りのしない日本刀を作るようになります。安定の晩年作は安次が代作している物が多いと思われます。延宝元年ころ父安定の引退に伴い二代安定を襲銘します。銘は初代安定と同様に切り、出来も見劣りしないことから、保存刀剣、特別保存刀剣の鑑定で多くは安定の代別をされていない物が多いと言われています。また安次の作品にも裁断銘が見られ、或る資料では良業物とされています。
本作、寛文中期の安次30才くらいの作品と思われ、父大和守安定にも劣らない出来です。是非貴重な大和守安次の脇差を是非手に入れて下さい。
「拵」
ハバキ:銀無垢一重の庄内。
鍔 :鉄地源氏物語の図。
縁頭 :赤銅地桃園談義の図
目貫 :唐武者の図。
柄 :鮫は親粒が付き巻鮫、柄巻は正絹金茶色の諸摘み巻。
鞘 :黒色の笛巻鞘。白鞘、つなぎが付属。
「刀身の状態」
研:概ね良好です。Polish is almost Ok.
傷:欠点になるような傷は無いです。There is not the crack.