説明
「体配 style」
鎬造り庵棟、身幅太く重尋常、鳥居反りで中鋒。茎は磨り上げられ生で鑢目は筋違い、茎尻は一文字に切られる。
「彫物 carving」
片チリの棒樋が茎尻に掻き通しとなる。
「地鉄 jigane」
板目肌が流れ柾と成り、地沸が付く。
「刃紋 hamon」
互の目乱れで、刃縁荒沸が付き銀筋走る。刃中金筋が輝き、葉入る。帽子は乱れ込み小丸に返る。
「特徴 detailed」
同田貫は九州肥後国菊池の同田貫(地名)を本拠地に、永禄頃から活躍した肥後刀工の一群。延寿派の末流とされる。
肥後同田貫右衛門は、室町時代は永禄から天正、文禄頃の人で、正国、又八らと並ぶ位の有る刀匠です。
同田貫の作刀は豪刀武用刀として知られ、加藤清正の入国後は抱え工となり、また熊本城の常備刀とされ全盛期を迎えるが、加藤家改易後衰亡し、鍛刀技術は途絶える。
その後、幕末に9代正勝が薩州正幸より鍛刀術を習得し、第10代宗広、第11代宗春の時代に「新々刀同田貫」として再び繁栄した
宗広は通称を寿太郎・延寿太郎といい、肥後の新々刀期(1772年以後)を代表する刀工の一人となる。
本作は元亀・天正頃に作られた刀で、ちょうど織田信長が天下統一への階段を上っていく、戦いの真っ最中の時代です。その時代の同田貫は甲冑の上からも叩き斬れるように、重厚く刃肉をたっぷり付いているのが特徴で、本刀も研ぎ減ってはいますが、その特徴が良く残っています。
刀身の状態は、同田貫らしく小傷が有ります、また古研ぎのため薄錆や汚れが有ります。
鞘書は本阿弥光遜の書で、筑前國金剛兵衛盛次と極めていますが、日本美術刀剣保存協会の鑑定で同田貫と成りました。
「拵 Koshirae」
鎺(habaki) :素銅地銀着一重の変わり鎺
鞘(saya) :白鞘。
「刀剣の状態 condition of blade」
研:古研ぎのため薄錆や汚れが有ります。
傷:同田貫らしく小傷が有りますが、大きな鍛割は有りません。