説明
「体配 style」
鎬造り庵棟、身幅重尋常、鳥居反り大鋒。茎は生で大筋違鑢がかかる、茎尻は栗尻。
「地鉄 jigane」
地鉄は板目肌が良く詰み、地沸付く。
「刃紋 hamon」
刃紋は互の目が湾れ、匂い口明るく、表裏同じ位置に飛び焼きを焼き、刃中葉が入る。釯子は乱れ込み小丸に返る。
「特徴 detailed」
藝藩源正光、本名は石橋正光、出雲大掾正光とも切る。彼は享和二年(1802)、幸十郎長政の四男として高野村(現山県郡北広島町)に生まれた。石橋姓を冠して兵七、弘之進と称する。三人の長兄も刀工だったようだが、現存する作品は少なく詳細は判明していない。技量的には正光が最も秀でて優品が遺されている。同工の作刀中、制作年紀の刻された最古のものは天保五年(1834)にはじまる。
文政十二年(1829)、二十七歳で出雲大掾を任官し、天保八年(1837)には隣村の移原(現北広島町)に移住して鞴を構えたという。この頃から正光の名声は幕府にも知られるところなり、藩主浅野家への刀の献上された資料がみられ、一方では袴の着用や所行の際に帯刀することを許されている。安政五年(1858)、扶持米取となり安芸広島、浅野家の御用鍛冶となった。
幕末の騒乱期、長州戦争に関連してか隣藩浜田藩からの注文もうけて息子の卯吉、弟子の宮太とともに調製にあたったという。現在確認されている最期の年紀作は明治八年(1875)の作刀がある。翌明治九年(1876)廃刀令が布告され作刀を断念したものと思われる。明治十二年(1879)七十八歳の生涯を終えた。
本作は、廃藩置県(明治四年七月)の前年に作られた刀で、広島藩の藩工としては最後の仕事ではないでしょうか。
付属する拵も当時の物で、金蒔絵雲竜図の鞘が素晴らしく、当時の職人の技量、センスの良さが伺いしれます。また目釘にはネジを使っているなど明治の新しい息吹も感じられます。
この素晴らしい刀を、是非あなたのコレクションに加えて下さい。
「拵 Koshirae」
ハバキ(habaki) :赤銅磨き地一重。
鍔 Tsuba :赤銅地波燕影透かし。
縁頭鐺 FuchiKashira-kojiri :赤銅魚子地金覆輪。
目貫 menuki :赤銅磨き地雲龍図。
柄 Tsuka :の上に漆をかけています。
鞘 Saya :黒呂地雲龍図金蒔絵鞘。
「刀剣の状態 condition of blade」
研:良好です。
傷:欠点に成るような傷は有りません。