保存刀剣 九州肥後同田貫右衛門 二尺二寸五分

NBTHK Hozon token. Kyusyu higo dotanuki uemon.
戦国時代の豪刀武用刀同田貫、幕末の本歌の肥後拵、白鞘付

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商品コード: 02-1298 カテゴリー:

説明

「体配」
鎬造り庵棟、身幅尋常、重やや厚く、鳥居反り中鋒が延びる。刀身は約一寸ほど磨り上げらてれいます、茎は切鑢がかかり茎尻は栗尻。

「地鉄」
板目肌が流れ柾と成り、地沸が付く。

「刃紋」
刃紋は湾れを基調に互の目が入り小さな飛焼きを交えます、匂口は冴えて明るく小沸がよく付き、刃中には砂流し金線等盛んにかかり働いており覇気があります。帽子はそのまま乱れて小丸へと返ります。

「特徴」
同田貫は九州肥後国菊池の同田貫(地名)を本拠地に、永禄頃から活躍した肥後刀工の一群。延寿派の末流とされる。
肥後同田貫右衛門は、室町時代は永禄から天正、文禄頃の人で、正国、又八らと並ぶ位の有る刀匠です。
同田貫の作刀は豪刀武用刀として知られ、加藤清正の入国後は抱え工となり、また熊本城の常備刀とされ全盛期を迎えるが、加藤家改易後衰亡し、鍛刀技術は途絶える。
その後、幕末に9代正勝が薩州正幸より鍛刀術を習得し、第10代宗広、第11代宗春の時代に「新々刀同田貫」として再び繁栄した
宗広は通称を寿太郎・延寿太郎といい、肥後の新々刀期(1772年以後)を代表する刀工の一人となる。
本作は元亀・天正頃に作られた刀で、ちょうど小田信長が天下統一への階段を上っていく、戦いの真っ最中の時代です。その時代の同田貫は甲冑の上からも叩き斬れるように
重厚く刃肉をたっぷり付いているのが特徴で、本刀もその特徴が良く残っています。少し地(柾目)が緩るんでいる箇所が有りますが、研ぎの時に締めてもらえれば綺麗に
成ります。また付いている拵は幕末に作られた本歌の肥後拵で全て掟通りに作られています。多分、肥後熊本藩士の差料だったのでしょう。
幕末の肥後拵に入った豪刀「同田貫」、相場は200万円以上の物が多いですが、今回安く仕入れましたので、特別価格で提供します。

ハバキ:素銅地銀着一重の腰祐乗。
鍔  :素銅地赤銅覆輪海鼠透かし。
縁  :四分一地に杢目の図柄。
頭  :鉄地水盤に草花の図
目貫 :素銅地金色絵蓮の図。
コジリ:鉄地錨形コジリ金具。
柄  :柄巻きは木綿糸の諸捻り巻で漆が塗られる。
鞘  :黒地に暗朱の石目塗。
その他:白鞘とつなぎが付属します。

「刀剣の状態」
研:古研のため少し薄錆の出ているところが有りますが、研ぎで綺麗に取れます。
傷: 鍛割れ等の傷は有りません。