説明
「体配」
鎬造り庵棟、身幅重とも尋常、鳥居反りで中峰。茎は生で鷹の羽鑢がかかり、茎尻は入山形。
彫物は片チリの棒樋がハバキ元で丸留となる。
「地鉄」
板目肌が良く摘み地沸が良く付く。
「刃紋」
華やかな丁子刃、足良く入り栄えんに飛び焼きを見せ、刃中は葉、金筋が入る、帽子は乱れ込み小丸に返る。
「特徴」
兼圀刀匠は本名、尾川邦彦。大正14年1月25日生まれ。昭和14年に小川兼國刀剣鍛錬所に入り鍛刀を修業し、昭和17年~19年、千葉刀剣製作所にて、全国最年少の陸軍受命刀匠となり初銘を「圀忠」と名乗る。また自らも中国戦線に赴いている。
終戦後は農業や養鶏、洋食器のナイフ研磨などの職に就く。日々の仕事をこなす傍ら、刀剣制作への熱い思いは絶やさず持ち続けていた。
47歳の時、再び刀工の道を進む決意をする。しかし、受命刀匠の証明書が戦火で焼けてしまい、実績を証明するものは、何一つ残っていなかった。しかし日本刀を作るためには、文化庁の認可が必要。それには最低5年間、刀鍛冶に弟子入りしなければならない。兼圀氏はもう一度原点に立ち返り、昭和47金子孫六(兼元)に入門。再び認可を得たのは、52歳の時だった。
その後、昭和52年に作刀承認を受け、同年に岐阜県関市武芸町八幡にて工房を設立して独立する。
それからの兼圀氏の活躍は、めざましいものであった。平成7年以降、新作名刀展で数々の賞を連続受賞。平成18年には、刀匠界で人間国宝に次ぐ名誉とされる「無鑑査」に認めらる。また同20年には岐阜県重要無形文化財認定保持者の栄誉に輝いている。八十路を越えて尚、実子の兼国とともに武芸八幡町にて槌音を響かせていたが、平成24年11月26日に、ご逝去されました、享年87歳。
本作は兼圀刀匠には珍しい丁子刃を焼いた力作で、足良く入り、栄んに飛び焼きを見せ、刃中は金筋、葉が入ります。研ぎは古研ぎながら錆も無く概ね良好ですが、ヒケはあります。刀身全体をスキャナーで撮りましたが、光の加減で上手く写らなく、刀身の地鉄や刃の働きの良さを伝える事が出来なかったので、今回は別に写真を掲載しました。拵は、縁頭が江戸時代の物で赤銅地に波と花が高彫りされた良い物、目貫も江戸時代の物で龍の図です。鍔はバランスを考えて現代の物に変更しました。
柄巻きは新しく牛表革の黒に巻き変え、鞘塗りは黒の松皮に塗り替えました。
本刀は身幅が太い割りに軽くバランス良く、刀身の出来も良く、拵もしっかりしており、ご購入が直ぐに居合に使えます。
「拵」
ハバキ:銀無垢一重の腰祐乗。
鍔 :鉄地竹網代の図。
縁頭 :赤銅地波に花の図。
目貫 :龍の図。
柄 :鮫は親粒が付き、柄巻は牛表革の諸摘み巻き(新品)。
鞘 :黒松皮塗り。
「<刀剣の状態」
研ぎ:古研ぎのため、少しヒケが有りますが、概ね良好です。
傷:欠点に成るような傷は有りません。