(05-0004)
人間国宝
現代刀 天田昭次 収貞合作 七寸四分 白鞘入
国宝 白山吉光写し



living national treasure Amada Akitsugu,Kanesada Collaboration with Shirosaya.
人間国宝天田昭次、収貞刀匠の、国宝白山吉光写しです。
白山吉光は、鎌倉時代の名工、粟田口藤四郎吉光の作で、加賀藩5代藩主、綱紀が白山比咩神社へ奉納した剣。
天田昭次刀匠の国宝白山吉光写しは、非常に珍しく貴重です、この機会をお見逃しなく!
This is a copy of the national treasure Hakusan Yoshimitsu by living national treasures Shoji Amada and Kanesada.
Hakusan Yoshimitsu is a sword made by Awataguchi Toshiro Yoshimitsu, a master craftsman of the Kamakura period, and dedicated to the Hakusan Himinu Shrine by Tsunanori, the fifth lord of the Kaga domain.
Shoji Amada’s copy of the national treasure Hakusan Yoshimitsu is very rare and valuable, do not miss this chance!


【登録 Reggistration Code】
昭和61年6月19日 新潟県第057679号
【種別 Category】
剣 Ken
【長さ Blade length】
22.5cm
【反り Curvature】
0.0cm
【目釘穴 a rivet of a sword hilt】
1個 One
【銘文 Signature and Date】
(表)天田昭次 収貞合作
(裏)皇紀二千六百ニニ十六年二月吉祥日
【元幅 Width at the bottom part of blade】
20.7mm
【先幅 Width at the top] 
18.7mm
【元重 Thickness at the bottom part of blade】
6.9mm
【先重 Thickness at the top】
6.5mm
【重量 Weight】
刀身155g / Blade Just 155g.
【時代 Period】
Late of Syowa period.

商品コード: 05-0004 カテゴリー: ,

説明

「体配 figure」
体配は両刃造り、鎬は高い。は生で鑢目は筋違い、茎尻は先浅い剣形。」

「地鉄 jigane」
地鉄は、小板目肌が極めて良く詰んだ美しい地鉄は、細やかな流れ肌を交え、細美な地沸が微塵に厚く付き地鉄精良。

「刃紋 hamon」
刃文は、締まった美しい直刃に、刃縁に葉、小足を配し、刃中は匂い深い。 釯子、直刃調で焼き詰め。

「特徴 detailed」
人間国宝天田昭次、実弟天田収貞による合作の守護剣、鎌倉期古剣の名作で、国宝としても名高い、粟田口藤四郎吉光の『白山吉光』を写した意欲作、両名による箱書きなど完璧に揃った、究極のお守り剣です。

天田昭次は昭和2年、新潟県北蒲原郡本多村(現新発田市本田)生まれ、9歳の時に、父天田貞吉と死別、昭和15年には上京し、日本刀鍛錬伝習所で栗原彦三郎の門人となります。この時兄弟子には宮入昭平(行平)がいた。戦後昭和30年代に入るとメキメキと頭角を現し、新作刀展では、毎年優秀賞を受賞したが、これからという33歳の頃大病を患い、復活まで8年掛かる。その後、鍛刀を再開するに当たって、新発田市月岡の温泉街の外れに、自宅兼鍛刀場、『豊月山(ほうげつさん)鍛刀場』を構える。不撓不屈の精神で復活した昭次は、ここから快進撃が始る。昭和47年には無鑑査、昭和52年、60年、平成8年に、刀剣界の最高賞である『正宗賞』を三度受賞、同賞三度受賞は、隅谷正峯、大隅俊平に次いで三例目ですが、山城伝、相州伝、備前伝と、全て異なる作風で受賞したのは昭次のみです。平成9年には人間国宝となり、平成25年、85歳にて没。

収貞(かねさだ)は天田貞夫と言い、昭和8年生まれ、昭次の6歳下の実弟に当たる。前述した豊月山鍛刀場で兄と共に鍛刀した。兄の協力者としての役割が多いため、自身作は僅少。近年は高齢により鍛刀は行っておらず、昭次が没後は、鍛刀場から程近い、『天田昭次記念館』にて、鍛刀談義が聞けることもあるそうです。兄昭次の輝かしい栄光は、収貞の尽力があってこそ、成り立ったものだと言える。

本作は昭和61年、昭次59歳、収貞53歳時、大変貴重な兄弟合作による、名作中の名作として名高い、粟田口藤四郎吉光の『白山吉光』写しで、寸法、造り込み、出来、樋の位置まで、完璧に再現しています。昭次にとっては、『正宗賞』初受賞作が、山城伝直刃であったことからしても、剣を写すのであれば、国宝白山吉光に挑むことは必然であったと思われます。小板目肌が極めて良く詰んだ美しい地鉄は、細やかな流れ肌を交え、細美な地沸が微塵に厚く付き、張り詰めた糸のように美しい直刃は、刃縁に葉、小足を配し、刃中匂い深く見事です。これ程までに冴え渡る地刃は、同工が独自製法の自家製鉄を使用したことによる賜物と言えます。古名刀の再現のためには、その時代の鉄を作り出すしかないという結論に至った昭次は、以後全て自家製鉄素材にこだわった鍛刀を行ってきました。永年に渡る素材研究の結果辿り着いたのは、奥出雲産の最高級真砂(まさ)砂鉄を、低温製錬した素材を使用することでした。これを使用して、納得出来る鋼材が得られるようになったのが、昭和50年代に入った頃と云い、三度の『正宗賞』受賞がこれ以降であることは、正にそれを裏付けています。
天田兄弟は、戦後の厳しい時代を乗り越え、互いに切磋琢磨し、兄は鉄の研究に没頭、ただひたすらに古名刀を追求し、弟はその協力者として、時に大病を患った兄の支えとなってきました。本作はそんな名工二人による渾身の合作剣、 桐箱表に『守護剣』、裏には『豊月山鍛刀場』と両名の連名に朱印があります。完璧に整った箱書きが付属して、これ以上のお守り剣はありません。もう二度と叶わない天田兄弟合作による、『白山吉光写し』の最高傑作、次はないと思います。

★白山吉光(Wikipediaより引用)
鎌倉時代の刀工・粟田口則国あるいは国吉の子とされる藤四郎吉光により作られた剣である。藤四郎吉光は、京都粟田口派の刀工のうち最も著名であり、特に短刀や剣の作刀では名手と知られていた[2]。吉光は実父(もしくは師匠)にあたる国吉と比べると剣の現存作が稀であるが、本作も名手の名にふさわしく姿形が極めて美しく、地鉄の出来の良さは他に及ばないほど伝統の良さにあふれていると評される

本作は徳川家光の養女にあたる阿智子(水戸藩主徳川頼房の四女、後に清泰院と号した)が、加賀藩4代藩主である前田光高に嫁いだ際に持参したもので、元々は徳川将軍家もしくは水戸徳川家が所蔵していたものと推測されている。1657年(明暦3年)に清泰院が死去した際に、子の5代藩主である綱紀が母の冥福を祈って死去した翌年に白山比咩神社へ奉納したものである[2]。加賀にて代々金工を務めていた水野家の記録によれば、1803年(享和3年)7月6日に「参詣之砌白山吉光御拭紙」としてその時の包紙が遺されていることから、その頃に拭い(地鉄を黒くすることによって光沢を出すことを目的とした工程)が行われていたことが分かる[4]。

1909年(明治42年)9月21日に古社寺保存法による旧国宝に指定され、文化財保護法施行後の1952年(昭和27年)3月29日には国宝に指定された。2019年現在は石川県立美術館に寄託されている。

「拵 Koshirae」
ハバキ(habaki) :銅に金着せハバキ。
鞘(saya) :白鞘

「刀剣の状態 condition of blade」
研:オリジナルの研ぎのままのため、1箇所小さな薄錆が有りますが、それ以外は良好な状態です。
傷:傷は有りません。