保存刀剣
無銘(美濃千手院) 一尺二寸四分強 肥後拵入


Hozon Token Mumei Mino Senjuin with Higo Koshirae.
 
室町時代後期の永正頃に作られた腰刀です。
鎺元の棟に均等に入った3個の切り込みが、戦国時代の過酷な戦場を勝ち抜いてきた証です。
This sword was made in around 1510.
Three marks of killing an enemy are engraved on the MINE of the sword.
This is a testament to winning the toughest battles.

【登録 Reggistration Code】
平成14年8月20日 東京都第287954号
【種別 Category】
脇差 Wakizashi
【長さ Blade length】
37.7cm
【反り Curvature】
1.1cm
【目釘穴 a rivet of a sword hilt】
1個 One
【銘文 Signature and Date】
無銘 Unsigned
【元幅 Width at the bottom part of blade】
28.7mm
【先幅 Width at the top] 
21.0mm
【元重 Thickness at the bottom part of blade】
6.5mm
【先重 Thickness at the top】
5.0mm
【重量 Weight】
刀身340g 抜身520g
Blade just 340g With out saya 520g.
【時代 Period】
室町時代後期 / Late of Muromachi period.

商品コード: 03-1205 カテゴリー: , ,

説明

「体配 style」
鎬造り庵棟、身幅重共尋常、反り強く腰反り。茎は生で鑢目は筋違い、茎尻は栗尻。

「地鉄 jigane」
板目肌に杢目が交じり、地沸付く。

「刃紋 hamon」
互の目乱れ、尖り刃を交え、砂流し栄んにかかり、刃中金筋が入る。釯子は乱れ込み掃き掛け尖り返る。

「特徴 detailed」
美濃千手院派は、平安末期より続く大和国千手院派が、南北朝期に美濃国赤坂に移住した一派。赤坂千手院とも呼ばれている。
祖は、南北朝初期、貞和頃の国長と云われています。美濃千手院派は室町時代後期まで繁栄しました。
本作、室町時代後期の作られた腰刀で、鎧の前差として使われたのでしょう。その証拠として差裏の鎺元の棟に均等に入った切り込みが有ります、これは多分戦場での鎧組打で上げた首級の数だと思われます。茎の棟に刻まれた物は何回か見た事が有りますが、刀身に刻まれたのは初めて見ました。
拵は肥後拵で、江戸時代中期の物で、縁頭鐺、鍔、栗形は一作です。可なり高価な拵で身分の高い武士の差料だったと思われます。
過酷な戦場を勝ち抜いてきた脇差です、是非コレクションに加えて下さい。

「拵 Koshirae」
ハバキ(habaki) :素銅地銀着一重の唐草模様。
鍔(tsuba)    :鉄地木瓜形桜金象嵌小刀鍔。
縁頭(fhchikashira):鉄地肥後桜金象嵌。
栗形(Kurikata) :鉄地瓢箪形桜金象嵌。
鐺(Kojiri) :鉄地錨形桜金象嵌。
目貫(menuki) :赤銅地
柄(Tsuka) :鮫は親粒が付き巻鮫。柄糸は紙縒り諸撮み巻きに、焦茶色の漆塗り。
馬針(Bashin) :鉄地。
笄(kougai) :鉄地肥後勝虫の図。
鞘(saya) :焦茶色鱗模様の変わり塗り。

「刀剣の状態 condition of blade」
研:概ね良好です。
傷:欠点に成るような傷は有りません。