説明
「体配 style」
鎬造り庵棟、身幅やや広く重尋常、鳥居反り、大鋒。茎は生で鑢目は切、茎尻は栗尻。
「地鉄 jigane」
小板目肌に杢が交じり、地鉄良く詰み、地沸付く。
「刃紋 hamon」
互の目乱れ、尖り刃を交え、刃緑沸付いて明るく締まり、刃中は葉、小足入る。 釯子は乱れ込み焼き深く、先掃き掛け返る。
「特徴 detailed」
肥前國源宗次(初代)、本名、境三右衛門宗次、銘は肥前國住伊予掾源宗次とも切る。父は境内蔵丞正次で戦国大名鍋島家の家臣。文禄の役では藩主、鍋島直茂に従い朝鮮に渡海している。
宗次の先祖は平安時代まで遡れるが、鍛冶の初代は執権北条時宗の御家人、堺(境)又八郎源真高、彼が相州正宗の娘を娶り、その関係で政宗から十二通りの鍛え、七通りの打ち立て法を伝授された事に始まる。この真高の嫡男が肥前國長瀬に地頭として下ってから、肥前での歴史が始まる。その後、境家の主君は竜造寺家、鍋島家と変わって行く。
初代宗次は境内蔵丞正次の次男。長男の真正は武士の道を歩むため、天正十二年(1584)鍛冶稼業を弟の宗次に譲る。
その後、宗次は慶長十一年(1606)伊予掾を受領するが、同時に掾司ノ頭を拝命する。慶長十六年(1611)知行十四石で鍋島家に召し抱えられ、藩主より多数の注文を受けている。
肥前新刀と言えば忠吉家が上げられるが、実は宗次家の方が少し古い。
本作は伊予掾受領前の慶長初期に作られた物と考えられ、身幅が広く大鋒の豪壮な慶長新刀の姿をしている。
刃紋は家伝の相州伝を焼き、正に先祖の正宗を映したような刀です。
「拵 Koshirae」
ハバキ(habaki) :素銅地銀着一重の腰祐乗。
鍔(tsuba) :鉄地赤銅覆輪太刀鍔。
半太刀金具(Hantachi-kanagu):鉄錆地半太刀金具。
目貫(menuki) :海老の図
柄(tsuka) :正絹の布を柄に巻き、柄巻きは正絹灰紺の諸捻り巻き。
鞘(saya) :焦茶色の叩き塗り。
「刀剣の状態 condition of blade」
研:良好です。
傷:欠点に成るような傷は有りません。