特別保存刀剣 和泉大掾藤原國輝(伊予 新刀) 二尺三寸九分


会津虎徹三善長道の叔父、伊予新刀の祖、和泉大掾國輝。
貝散し鞘打刀拵、白鞘付。

Tokubetsu Hozontoken by NBTHK / Izumi daijo Fujiwara no Kuniteru.
Kuniteru is a swordsmith of The early Edo period. It's around 1662.
This sword with Kosihae of Shellfish grain coating.


商品コード: 02-1342 カテゴリー: , ,

説明

<体配>
鎬造り庵棟、身幅重とも尋常、鳥居反り中鋒。茎は生ぶで筋違い鑢がかかり茎尻は剣形。

<地鉄>
板目肌に小板目が混り、地沸付く。

<刃紋>
小乱れの中直刃がやや湾れ、刃緑沸が付き砂流しかかり、刃中は金筋が入る。釯子は直に入り小丸に返る。
「特徴」
和泉大掾國輝(初代)、本名 三好太郎兵衛、初銘を長清と切る。師は父である三好長國。長國は播磨守照國の甥で、安藝廣島城主福島正則の勧めにより、伊予松山城主加藤嘉明の元に参ずる。
また三好長國は名乗りに「長」を冠する事から、室町後期、阿波の戦国大名で一時期 機内を制圧した、三好長慶を長とした、阿波三好一族の出身とも推察される。
長國が松山に移住後の寛永4年(1627年)、主君 加藤嘉明は、蒲生氏郷が会津から伊予松山に転封されたのと入れ替わりに、会津へ国替えと成り、長國も長清以外の息子を連れて会津へ移住する。
長清(後の國輝)の兄弟には、三好政長、三好長俊がおり、三好政長の子が、会津虎徹で有名な三善長道で、会津にて新々刀まで代々栄える。
一方、伊予松山に残留した長清は、蒲生氏郷に仕えた後、新しく伊予松山の藩主に成った松平定行に仕え、正保元年(1644)、20石5人扶持寄合大小姓役となる。
その後、長清を國輝と改め、寛文九年(1669)に和泉大掾を受領後、和泉大掾國輝と名乗る。元禄九年(1696)に70歳で鬼籍に入る。
子孫はその後伊予松山で栄え、天明頃の七代國輝まで続く伊予を代表する刀工家と成る。
本作、体配から見て寛文後期の作と思われます、この時代からすると長寸で、身幅が太くゴリッとした体配に、湾れた中直刃を焼く、典型的な國輝のスタイルです。
拵は幕末に作られた物でしょうか、刀身の割には大振りな拵で、柄が長く貝散し鞘が付く見事な拵です。柄糸が切れていたのと鮫革が剥がれていたもでリペアしました。
拵からは、自分を鼓舞するために、ハッタリをかましていた、幕末の武士の姿が目に浮かびます。

<拵>
ハバキ:銀無垢一重の腰祐乗。solid silver with pattern of koshiyujo.
鍔  :鉄地龍図鍔(越前記内)。Made of iron and design of the dragon.
縁頭 :頭は水牛の角、縁は赤銅地龍の図。Made of alloy of copper and gold and design of the dragon.
コジリ:鉄地鍬形コジ。Made of iron.
目貫 :赤銅地武士の図。Made of alloy of copper and gold and design of the Bushi.
柄  :鮫革は親粒が付き黒染、柄巻きは牛スエードのマロン茶。Black sharkskin with oyatsubu and Tsukaito is Marron brown suede.
鞘  :貝散し鞘。Shellfish grain coating saya.

<刀剣の状態>
研:古研ですが概ね良好。That polishing is old but almost good.
傷: 欠点に成るような傷は有りません。There is no crack.