品番 02-1125
委託品
特別保存刀剣 栗原筑前守信秀 二尺四寸八分 薩摩拵付
- 商品価格(税込)
- 完売致しました
種別Category | 刀 | 刃長Blade length | 75.2cm |
反りCurvature | 1.4cm | 目釘穴a rivet of a sword hilt | 1個 |
元幅Width at the bottom part of blade | 31.6mm | 先幅Width at the top | 23.0mm |
元重Thickness at the bottom part of blade | 7.4mm | 先重Thickness at the top | 5.6mm |
重量Weight | 刀身850g、抜き身1,180g | 時代Period | 江戸時代 |
銘文Signature and Date | (表)栗原筑前守信秀 (裏)慶応四年五月日 |
||
登録Registration Code | 昭和59年4月19日 兵庫教育委員会 |
品番 02-1125
<体配>
鎬造り庵棟、身幅、重尋常、腰反りで中峰。茎は生で鑢目は筋違い、茎尻は栗尻。
<地鉄>
板目肌が流れ心と成り、地沸付き地景が入る。帽子は乱れ込み、盛んに掃き掛け小丸に返る。
<刃紋>
互の目乱れ、匂い口が明るく、足長く入り、沸よくつき金筋、砂流しかかる。
<特徴>
栗原信秀は、文化12年、越後国西蒲原郡月潟村に生まれる。文政12年、京都へ上り鏡師となったが、嘉永元年、江戸に出て、山浦清麿門に入り刀鍛冶となる、入門の年齢は遅く、三十四、五歳の頃とされている。
現存する信秀の作刀で最も時代の遡るものは、嘉永5年紀であることから、実際に師事した期間は短かったものと思われる。
独立して間もない嘉永6年には、相模国浦賀で作刀した、いわゆる「浦賀打」が現存する。
元治元年7月、第一回長州征伐の際、幕命を受け大坂に赴き、兵器補給の役を務める、大坂での作刀は元治元年8月より慶応3年正月までの約2年半にわたる。慶応元年京都に上り、孝明天皇から筑前守を受領する。
明治になって明治天皇の御番鍛冶に任命され、明治5年には天皇に佩刀を献上、7年には招魂社(今の靖国神社)の御鏡三面作成する。
翌明治8年、越後三条に帰り、同10年には弥彦神社の御神鏡の制作を行っている。
明治13年1月25日、東京本郷元町の養子信親宅に於て66歳で歿する。彼の技量は山浦清麿一門中で最も卓越しており、師清麿に迫る出来映えのものが有ります。
本作と同じ慶応4年の作品に重要刀剣が有り、彼自身一番油の乗った時期の作品と言えるでしょう。
付属の拵は幕末に作られた薩摩拵です、返り角は後補されていますが他はうぶです。他に薩摩拵の付属した栗原信秀は無いと思います。
<拵え>
ハバキ:素銅地銀着、金着の二重。
鍔 :銀無垢海龍図。
縁頭 :銀無垢磨き地。
柄 :鮫は巻き鮫で親粒が付く、柄巻きは正絹黒の諸捻り巻き。
鞘 :黒呂。
その他:白鞘とつなぎが付属
<刀剣の状態>
研ぎ: 良い研ぎがかかっており、ヒケも曇りも無く状態は良好です。
傷: 欠点に成るような傷は有りません。